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ことばを育む会のあゆみ

言語障害児をもつ親の会の歩み・・30周年記念誌・・抜粋

第2節

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W 10年間のできごと

全国親の会事務局が千葉市立院内小学校ことばの教室から財団に移転したあと10年はまさに親の会の発展・充実期ともいえる時期です。主要な出来事を抽出してみます。一言でいうと小林咲子会長・平岡利美事務局長コンビの黄金期という事になりましょう。

1.谷間の口蓋裂

「ごく最近のことである。私たちに大きなショッキングを与える一つの事件が起こった。新聞各社は四段ぬきとはいえ、いわゆる三面記事として扱っていたから"またが'という、いささか不感症気味な受けとめ方を普段ならしたかもしれない。しかし、「兎唇」「口蓋裂」「幼児殺害」の活字にいささか気持ちが動転したことを今も覚えている。新聞報道を総合すると次のようなことであった。生まれて3ケ月の幼な子を持つ若い母親は『どうしてこんな子が−』と親類の者からまでいわれ、普段から『いっそこの子と死にたい』と口走り、最終的には、兎唇なのを悲観して『可愛そうだから殺した』というのであった」「他人は『そんなに悩まなくても』と忠告し、『もっと強くなれ』と教えてくれるかもしれない。しかし当事者にしてみれば、それも所詮はきれい事で空虚な響きしかもたない。それ程現実は厳しく、口蓋裂を含めた障害児の親・兄弟はにがく苦しい思いをこらえて今日を迎えているのである。」(「ことば」No40 1975年・当時の言語障害児をもつ親の会北海道協議会々長・丹崎信夫氏の文より)

この悲劇の報道は昭和50年5月26日のことであった。口蓋裂を持って生まれた事実に親は一様に大きな衝撃を受ける。次いで哺乳、栄養に気を使うばかりでなく、世間の目を恐れ口唇、口蓋の手術を受けさせホッとする。それも束の間ことばの問題、保育や教育のことが親の頭から離れることはない。再形成、歯列矯正を余儀なくされる。更に就職、結婚へと悩みは引き継いでいく。

北海道親の会ではこの間題はすでに大会において論議を交わしていたし、当事者の精神的、肉体的、心理的、経済的、社会的負担がいかに甚大であるかがおおよそ気付かれていました。しかし、事の重大性に鑑みそれらの事実を明確にしなければ第2、第3の事件をとめることはできないと言う判断から『口蓋裂を語る集い』を開催し、関係医師、行政、報道機関を交えて議論を交わしました。「歯列矯正や唇や鼻翼の再形成に保険が適用されない事実が浮き彫りになってきました。全国親の会からはその都度平岡事務局長にご参加頂き実情を訴えました。第9回言語障害児を持つ親の会全国大会で北海道の高橋玲子さんが「この子らに健保を」と訴え、波紋は一気に広がり20県以上から署名が集まり、地方議会、国会を動かし、ついに昭和52年第82回国会・社会労働委員会で請願が受託され、諸議論の上昭和58年4月『口唇、口蓋裂の歯列矯正に健康保険適用』が実現したのです。」(このことの詳報は、ことばNO40,42,86などに掲載。単行本としては毎日新聞刊「谷間の口がい裂児」昭和52年がある)



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