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ことばを育む会のあゆみ

言語障害児をもつ親の会の歩み・・30周年記念誌・・抜粋

第1節

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T 難聴・言語障害教育の萌芽

2.戦後の言語障害教育

(2)大熊喜代松先生の歩み

大熊先生には数多くの著書があります。

その著書によると、昭和26年市川市立真間小学校4年1組担任だった大熊先生は、クラスの中の3人の学力不振児の指導に苦慮し、翌27年、特殊学級(ちえ遅れ)を設置してその担任となり、他の学級からの人級児4人を加えて7人の指導にあたるかたわら、通常の学級担任から特殊学級に紹介されて来る子どもの個別検査の実施や、判断(当時は診断と言っていました)もしました。

その結果、十数人の子どもたちが、ちえ遅れではないのに、学力不振の状態になっていて、知恵遅れと誤認されていることがわかりました。

その中の3人(場面緘黙症や極端な学力不振)に対して、週2回、放課後に話すこと、読むことの指導を実施しています。

緘黙児には学校裏の丘の芝生でのスキンシップ遊びで、閉じていた心を聞かせ、学業や話すことに効果が現れ出し、他の2人にも少しずつ変化がみられたということです。

真間小学校では昭和26年から、文部省の国語教育実験学校の指定を受けて、国立国語研究所の平井昌夫先生などの指導を受けていました。

その平井先生から、アメリカの『治療教育』の様子を紹介され、治療教育の学習をしていた大熊先生は、これらの子どもに治療教育を試行したのでした。

昭和28年通常の学級でもない、特殊学級でもない、週に何回かの指導で効果が期待できる子の第3の学級(つまり『治療教室』)が、平井先生の強力な指導もあって、通級制の『国語科治療教室』として設置されます。

法律に基づいた「学級」ではありませんので、先生の配当はありません。校内の遣り繰りで治療教室の専任教師の枠を作り出し、大熊先生が専任教師となりました。

当時は全国的な財政難で、まだ二部授業が解消されないときでしたから、法律に規定されていないことに専任の先生を当てるなどのことは、大変なことだったと思います。

昭和28年5月、真間小学校で文部省実験学校公開研究発表会が約300人の参加者を得て盛大に開催されました。そのときの研究紀要の目次に次のようなものがあります。


第二部 治療的指導の実践
 1 治療的指導開始までの準備
 2 治療的指導の管理上の留意点
 3 精神薄弱児と普通児との間に於ける読みの学習に関する主な相違
 4 読みの治療的指導に於ける五段階
 5 読みの精神的情緒的適応の為の教師の役割
 6 読めない子どもの指導の方法と原理
 7 読みの速度をあげる方法
 8 個別的な治療読みのもつ利益
 9 授業の実際

これを見ると、当初は「読みの指導」をしていたことがわかります。

昭和29年になると、研究実践が進行して、研究主題が『話すこと』へと発展します。

この時期には、整肢療護園の田口恒夫先生の許に、学校の勤務が終ってから、押し掛けて行って、言語障害治療学の指導を受けたとのことです。

昭和38年には、院内小学校の文部省指定実験学校公開研究会で、「目の前の子どもを救うのが大切」とする平井先生と、「研究と指導者養成が第一」と主張する内須川先生(当時:東京学芸大学助教授)の意見の違いが、参加者に強い印象を与えたとのことです。

大勢としては、目の前の子どもをどうにかしなければという雰囲気だったのでしょうが、今になってみると、車の両輪のようなご意見だったのだと感じます。



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