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V 全国親の会の結成
5.全国親の会事務局
事務局の様子については、第16回全国言語障害児をもつ親の会全国大会・千葉大会要項にある、「全国親の会の歩みと現状」に詳しく載っています。無記名の記事なのですが、事務局の仕事を実際になさっていた方がお書きになったようですので、その記事の抜粋を紹介します。
<千葉大会要項P28〜よりの抜粋>
事務局は、全国親の会の基となった院内小学校に置かれました。
最初の頃の親の会は、すべて大貫旨先生の意のままに動いていました。保護者のみなさんは、教室への感謝の気持ちと、自分たちの幸せを他の親子にも分けて上げたいと考えてくださり、大熊先生の手となり足となって働いてくださいました。
先生方もその様子を見て、親の会の仕事をするのは当然と思い、手分けをして事務局の中心となって働いてくださいました。
全国の親の会は、 大熊喜代松先生千葉県の親の会は、山岸次郎先生千葉市の親の会は、行木 富子先生という分担でしたが、専従の事務員がいたわけではなく、連絡事務から諸団体との交渉、関係省庁への陳情、会報の発行・発送、各親の会との連絡
など書き尽くせない程の量の仕事は、事務局長の平岡さんひとりの判断と労力に頼っていました。
その平岡さんが、昭和59年1月、病を得て長期入院、自宅療養という事態になって、事務局員とは名ばかりだった者たちが、事務局体制を見直し、結束して代行体制を作りました。
それまで、会報・パンフレットの発送は全部平岡ご夫妻の作業、時・所をかまわず入って来る全国各地からの連絡や問い合わせへの応対など、ご自分の会社の仕事にはまったく手が出せない状態であったことが、代行をしてみて体験できました。
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