V 全国親の会の結成
3.全国各地への広まり
全国大会を開催し、全国協議会を結成したものの、内実は前述の「全国代表者会議」と同じ状況で、各都道府県に親の会ができていたわけではありません。
大会決議を実現させるためにも、名実ともに全国協議会にすることが急務で、大熊先生と事務局長の平岡さんの全国行脚が始まります。
千葉県特殊教育連盟言語障害研究部会・千葉県言語障害児をもつ親の会共著『この子らのことばを求めて』によると、昭和38年、39年の2年間だけでも、お二人の出張先は次の通りです。
昭和38年
1月 鹿児島市
1月 宮崎市
1月 大分県別府市
7月 北海道親の会(札幌市)
8月 三重県津市
10月 神奈川県横浜市
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昭和39年
2月 静岡県吉原市
2月 茨城県親の会(水戸市)
8月 栃木県親の会(宇都宮市)
8月 群馬県親の会準備会
9月 三重県親の会(津市)
10月 長崎県福江市
10月 愛知県親の会(名古屋市)
10月 静岡県覿の会(清水市)
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その結果、昭和44年までに33都道府県に親の会ができ、未設置県にも連絡のとれる拠点ができ、名実共に全国親の会の組織ができあがりました。
前述の『この子らのことばを求めて』によると、各都道府県親の会結成の契機を次のように分類しています。
(1)院内小学校・通町小学校の終了児の親が帰郷後、親の会作り・教室作りに奔走した例
(2)院内小学校での面談・文書相談が契機で親の会作り・教室設置に成功した例
(3)NHK言語障害児をもつ親の集い開催が契機となって、親の会、教室作りができた例
それにしても、大熊先生と平岡さんの東奔西走がなかったら、短期間にこれ程の広がりはなかったと思われ、お二人は正に全国言語障害児をもつ親の会の『生みの親』というべき方です。
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