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ことばを育む会のあゆみ

言語障害児をもつ親の会の歩み・・30周年記念誌・・抜粋

第1節

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T 難聴・言語障害教育の萌芽

1.わが国最初の難聴・言語障害学級

公式な記録によると、わが国の学校教育の中での最初の言語障害学級は、大正15年に設置された東京市深川区八名川小学校の『吃音学級』です。

いわゆる「どもり」については、中世の文献にある程で、広く一般に知られたことばの障害であり、更に、初代東京音楽学校長の伊沢修二が、音楽学校設立のためアメリカに留学し、家族に吃音者がいたために吃音の研究もして帰国、明治36年、吃音矯正のための『楽石社』を創設、吃音矯正に力を注いだことが影響したものとも思われます。

また、難聴児は聾学校で教育を受けていましたが、昭和9年に東京市小石川区礫川尋常小学校に我が国初の『難聴学級』が設置されています。

難聴、言語障害の教育について、法律に明記されたのは、昭和16年の『国民学校令施行規則第53条ノ規定ニヨル学級又ハ学校ノ編制二関スル規則第3条「養護学級又ハ養護学校二在リテハ、成ルベク身体虚弱、精神薄弱、弱視、難聴、吃音、肢体不自由等ノ別二学級又ハ学校ヲ編制スベシ」という条文です。

なぜ吃音だけだったのか、ということについては、前に述べたように、吃音については広く知られており、矯正法もある一定のレベルに達していたことに加え、当時は国民皆兵と叫ばれた軍国主義一色の時代でした。

軍隊にとっては迅速で正確な「伝達」が不可欠なのに、吃音兵のところで時間がかかったのでは隊全体の死活にまで影響してしまいます。

戦争には、優秀な兵器と優秀な兵士が多い方が有利ですから、人的資源の確保という点から、吃音の矯正も重視されたのだと思います。

この国民学校令によって設置された「養護学級」は、第2次世界大戦の激化や敗色が濃厚となった時期、更に敗戦後の混乱期にすべて姿を消してしまいます。



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